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2007年01月18日

« 心意気 »、、、

他のテーマで≪心≫については別の章で触れたい旨を話したと思う。

よく皆から日本的概念の≪心≫の意味について説明を求められる。時には、まったく同じ意味を持ちようのない別な言語で訳すようにも要求されることがある。一つ一つの言葉がそのまま直訳ができるとすれば、特に師匠なしで上達できると思っている者にとっては、安易であろう。

しかし、≪心≫の意味の探求となると時間と気力を費やする価値がある。わたしは、不死身の杯を探し求めた中世の騎士のように、探すということ自体が、澄んだ心を構成すると思う、なぜなら、≪心≫というものの意味を見出すのはむずかしいことだが、それを理解できる≪心≫の条件を整えることもまたむずかしい。

池田茂夫先生、我が師匠は一緒に過ごした数年間というもの、この言葉の意味を私に教えようとされ、その都度このコンセプトに新たな明かりが灯された。

知らず知らずに、様々な状況や将来的出逢いなどを経験し、こころについての探求への道をいつか歩む要素を植えつけられた。

私は今も≪心≫についてことばでは簡単に説明はできない、しかし態度、姿勢によって、≪心≫がこもっているか否かは即座に判断できる。
≪心≫は、思っている気持ちが態度に表れるもので、立派な説明ことばを並べまくることで満足するコスミック的なものではない。

≪心≫は、私の信じる武士道の価値感を日ごろの実践に活用しようとする包みもの。

誠 : 真実性と誠意
名誉 : 人格の高さ、名声
忠義 : 忠節、忠誠、まごころを尽くして仕える
勇 : 勇気、勇敢、武勇
仁 : 慈しみ、思いやり、愛、寛容、同情、哀れみ、情け
義 : 正義の道理、人道
礼 : 礼儀、他人に対する思いやりの表現、優雅な作法
智 : 賢い、分別、判断、是非・善悪の弁別
信 : 信頼、自信、欺かない、疑わない

時が過ぎ、生涯を通じて、周囲の人、自分、人生そのもの、この世の全てのもののお陰で新たな充実感を覚え、自分の≪心≫を磨いていくことを一日たりとも忘れない。

≪心≫は長期戦である。


自分が受けたものと与えたものの両方から成る。

我々の人生で何かを決心する時、その≪心≫を本質的な要素にして決めるとすると、それは我々の追求している価値を与えることになる。


生涯を画する大きな感動だけで心を埋めようとするのは間違いで、重要さのレベルはなし、毎日のどんなに些細なことでも心を豊かにしていける。

こうした些細な日々の生活を送りながら、さらに、これぞ≪まごころ≫のこもった、模範的な行動、振舞いだと大きな感動を与えることができたら、なんとすばらしいことか。なんと人生勉強になることか!、、、。自分こそがいつもそれを実行できたらなと思う、、、。

毎日の努力の積み重ねが実を結び、ある日いつもと同じことをしているのに、周りの人が我々の自然に行なった何気ない態度に深い感動を覚える日が来るであろう。

それが≪心≫だと気付かないかも知れない。

でも何という名かなど、そんなことは重要ではない!

私の≪心≫の探求で大きな進歩を感じれたのは、次の3つの例だ。勿論、池田茂夫恩師と関係があるが、先生が他界された後の話で私にとっては心意気を感じる。


1. 後輩に感謝

我が師匠が他界され5年近くになるが、私の後輩との絆は深くなった、我々は互いに友愛と尊敬の関係にあり、私はそれに満足と誇りを覚える。

2005年の11月、3日間だけ日本へ行く決心をした。それは、いつも通りの修行目的ではなく、我が後輩の人生にとって大切なイベントの時に彼のそばにいて、自分にとってどれほど我々の絆が大切かを感じてもらうためだった。

フランス帰国の前日の晩、熱意のこもった別れの挨拶をしたとき、私の東京まで来た主旨は、彼にしっかり伝わっていたことを感じた。

あくる朝6時30分にホテルのロビーに下りるとその後輩はホールで私を待っていた。何時の飛行機で何時にホテルを出るとも伝えてなかったにも拘らず、自宅から45分かけて私をホールでずーと待っていてくれた。

彼は、私が朝食を取る時間がないだろうと思い、お弁当とお茶を作って持ってきてくれたのだ。


1. 池田夫人とご家族に感謝

2006年1月、いつも日本へ行ったときそうしているように、故池田茂夫師匠の奥方に連絡を取り、会う約束をした。夫人は私に本当によくしてくださった。池田先生と師弟関係がうまく行ったのも夫人のお陰だ。今もなお変わらぬ優しい眼で私をみてくださる池田夫人に亡き恩師と同じくらいの敬意を表する。

ところでその1月に夫人にお会いした際、夫人は私に池田先生の分骨を渡す為待っていてくださった。

これは何を意味するか、、、。
私は、この上ない感激と重い責任を感じた。


1. 我が師匠の友人達に感謝

長年の間、私はあたかも師匠の足跡の上を細心の注意を払ってたどるかのように≪師匠の影≫の存在でいた。そのお陰で、終りがないようなすばらしい時を過ごすことが出来、色々なことを教わった。

池田先生の公平無私の並外れた人格は、先生の忠実で真の友情と情熱を見出した多くの人達を惹きつけた。
私はといえば、よくその先生と一緒にいた。弟子という自分の立場上、ただ先生の後ろで目立たなくしていただけだが、自然にいろんな行事、約束その他の出来事に先生やその友人達と一緒に参加した。

2001年7月24日池田先生が永眠されたとき、皆して泣いた。

先生は、すばらしい人だった、先生の友人達もだ、、、。

先生の死後、友人達により偲ぶ会が発足した。これは先生の思い出を語り敬う会合である。

2006年4月16日の偲ぶ会は、先生の生まれ故郷、京都で行なわれた。

午前中、皆して先生へ挨拶をしに墓参りをした、、、。

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