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2007年01月18日

個別的な教え、、、

新たに入門を志願する者が現れると、私はいつも躊躇する、なぜならその者が、我々の≪入門に関するモラル的約束事≫について、間違った解釈をしてないか、本気でやる気があるのかなどの確信を持ちたいからである。

今日、殆どの習い事は、集団レッスンになっている、個々に対してのみできる本質的な教えを、集団を相手にあたかも可能かのように行われている。
おそらく、本来重要視すべきことを外し、テクニック面ではある程度のレベルまで到達できるので、万人向けで誰でも入門できることを優先しているのであろう。金銭的な採算を考えると説明がつく。そうなると、その生徒は、比較的緩和な教えを受けることになる。このような教え方をしている教室では、かなりの生徒数のローテーションをみる結果となる。しかし、それは別に大した問題ではない、だいたい生徒自体が趣味程度にいろいろな習い事をしていることが殆どであるから、まるで万人向けの習い事スーパーマーケットであれこれ、ある期間、予算に合わせて選んで買い物をしているようなものであるから。

本物の教えとなるとそのような訳にはいかない。それぞれ個人に合わせた個別な手ほどきのみが結果をもたらすことにつながる。人はそれぞれ異なり、頂上へ行き着くためには、それぞれ個々の上達のその段階によって到達の道、手段を慎重に選ぶべきである。このような指導法では、一旦同じ道を歩む決意をしたからには、だれも途中で見捨てられることはない。その代わり、弟子となる者は予め容易でない道について説明を受け、技の面でも日々の生活態度についても、あらゆる苦難を乗り越え、厳しい要望に応じなければならないことを予告される。

我々の≪入門に関するモラル的約束事≫とは、技の上達とモラル、さらに文化面の人格向上をも目的とし、時がくれば我々が受けた指導を、同じかたちで後世に伝えるという約束のことを意味する。

日本では、≪生涯のうち、一人の「弟子」を持てた先生は、毎日神に感謝するべきである≫と言われる。

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