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2007年01月18日

《礼とは、礼儀という森を隠した一本の木である》「フランスの諺で、目の前の一本の木が後ろの大きな森を隠している。つまり目先のことだけ見えて、その背後の意味の深さが理解できてない、ことを言う≪灯台もと暮らし≫」

伝統武道を修行するにあたり、日本式の礼をすることは、常に武道の価値感に適した態度をとるべきだとする形式的な動作をしているわけである。

この礼の動作は、武道とはほぼ遠い、内容不可解な東洋のえたいの知れない格闘技でも取り入れられている。魂のない(心のこもってない)礼は、ナンセンスである。

≪武道は礼儀に始まり、礼儀に終わる≫とは、意味深いことである。

ある生徒は稽古に遅刻してきて、あるいは前回は欠席だった、または汚らしい稽古着で、先生に事前に謝ることもせず、稽古を始める前に礼をしている、何度このようなシーンを観察したことだろう!このような姿勢は、礼をまったく意味のないものにしている。それどころか、反対に礼儀に欠けて、反対の意味の侮辱に近い。

伝統武道の実践であれば、それは存在しない、なぜなら礼儀について弟子をしっかり教育することは先生の責任であるからだ。また、礼の仕方も細かく指導しているはずだ。武道を習うからには、先ずこの礼の仕方と内容を学ぶことから修行が始まると、私はいつも言っている。そして、他のテクニック同様、この礼の上達も終りを知らない。

下手な意味のない礼をしている者は、その者の武道の質と先生の質と指導の仕方を語っている。それぞれ自覚を持って、先生、先輩、また他の人への敬意を心を込めて礼をするべきである。

池田茂夫先生から頂いた、礼をするときの心と魂を示した書をここへ添付する。


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日常の心意気

1・ はいと言う 素直な心
1・ すみませんと言う 反省の心
1・ おかげさまと言う 謙虚な心
1・ 私がしますと言う 奉仕の心
1・ ありがとうと言う 感謝の心

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