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2007年01月18日

« 心意気 »、、、

他のテーマで≪心≫については別の章で触れたい旨を話したと思う。

よく皆から日本的概念の≪心≫の意味について説明を求められる。時には、まったく同じ意味を持ちようのない別な言語で訳すようにも要求されることがある。一つ一つの言葉がそのまま直訳ができるとすれば、特に師匠なしで上達できると思っている者にとっては、安易であろう。

しかし、≪心≫の意味の探求となると時間と気力を費やする価値がある。わたしは、不死身の杯を探し求めた中世の騎士のように、探すということ自体が、澄んだ心を構成すると思う、なぜなら、≪心≫というものの意味を見出すのはむずかしいことだが、それを理解できる≪心≫の条件を整えることもまたむずかしい。

池田茂夫先生、我が師匠は一緒に過ごした数年間というもの、この言葉の意味を私に教えようとされ、その都度このコンセプトに新たな明かりが灯された。

知らず知らずに、様々な状況や将来的出逢いなどを経験し、こころについての探求への道をいつか歩む要素を植えつけられた。

私は今も≪心≫についてことばでは簡単に説明はできない、しかし態度、姿勢によって、≪心≫がこもっているか否かは即座に判断できる。
≪心≫は、思っている気持ちが態度に表れるもので、立派な説明ことばを並べまくることで満足するコスミック的なものではない。

≪心≫は、私の信じる武士道の価値感を日ごろの実践に活用しようとする包みもの。

誠 : 真実性と誠意
名誉 : 人格の高さ、名声
忠義 : 忠節、忠誠、まごころを尽くして仕える
勇 : 勇気、勇敢、武勇
仁 : 慈しみ、思いやり、愛、寛容、同情、哀れみ、情け
義 : 正義の道理、人道
礼 : 礼儀、他人に対する思いやりの表現、優雅な作法
智 : 賢い、分別、判断、是非・善悪の弁別
信 : 信頼、自信、欺かない、疑わない

時が過ぎ、生涯を通じて、周囲の人、自分、人生そのもの、この世の全てのもののお陰で新たな充実感を覚え、自分の≪心≫を磨いていくことを一日たりとも忘れない。

≪心≫は長期戦である。


自分が受けたものと与えたものの両方から成る。

我々の人生で何かを決心する時、その≪心≫を本質的な要素にして決めるとすると、それは我々の追求している価値を与えることになる。


生涯を画する大きな感動だけで心を埋めようとするのは間違いで、重要さのレベルはなし、毎日のどんなに些細なことでも心を豊かにしていける。

こうした些細な日々の生活を送りながら、さらに、これぞ≪まごころ≫のこもった、模範的な行動、振舞いだと大きな感動を与えることができたら、なんとすばらしいことか。なんと人生勉強になることか!、、、。自分こそがいつもそれを実行できたらなと思う、、、。

毎日の努力の積み重ねが実を結び、ある日いつもと同じことをしているのに、周りの人が我々の自然に行なった何気ない態度に深い感動を覚える日が来るであろう。

それが≪心≫だと気付かないかも知れない。

でも何という名かなど、そんなことは重要ではない!

私の≪心≫の探求で大きな進歩を感じれたのは、次の3つの例だ。勿論、池田茂夫恩師と関係があるが、先生が他界された後の話で私にとっては心意気を感じる。


1. 後輩に感謝

我が師匠が他界され5年近くになるが、私の後輩との絆は深くなった、我々は互いに友愛と尊敬の関係にあり、私はそれに満足と誇りを覚える。

2005年の11月、3日間だけ日本へ行く決心をした。それは、いつも通りの修行目的ではなく、我が後輩の人生にとって大切なイベントの時に彼のそばにいて、自分にとってどれほど我々の絆が大切かを感じてもらうためだった。

フランス帰国の前日の晩、熱意のこもった別れの挨拶をしたとき、私の東京まで来た主旨は、彼にしっかり伝わっていたことを感じた。

あくる朝6時30分にホテルのロビーに下りるとその後輩はホールで私を待っていた。何時の飛行機で何時にホテルを出るとも伝えてなかったにも拘らず、自宅から45分かけて私をホールでずーと待っていてくれた。

彼は、私が朝食を取る時間がないだろうと思い、お弁当とお茶を作って持ってきてくれたのだ。


1. 池田夫人とご家族に感謝

2006年1月、いつも日本へ行ったときそうしているように、故池田茂夫師匠の奥方に連絡を取り、会う約束をした。夫人は私に本当によくしてくださった。池田先生と師弟関係がうまく行ったのも夫人のお陰だ。今もなお変わらぬ優しい眼で私をみてくださる池田夫人に亡き恩師と同じくらいの敬意を表する。

ところでその1月に夫人にお会いした際、夫人は私に池田先生の分骨を渡す為待っていてくださった。

これは何を意味するか、、、。
私は、この上ない感激と重い責任を感じた。


1. 我が師匠の友人達に感謝

長年の間、私はあたかも師匠の足跡の上を細心の注意を払ってたどるかのように≪師匠の影≫の存在でいた。そのお陰で、終りがないようなすばらしい時を過ごすことが出来、色々なことを教わった。

池田先生の公平無私の並外れた人格は、先生の忠実で真の友情と情熱を見出した多くの人達を惹きつけた。
私はといえば、よくその先生と一緒にいた。弟子という自分の立場上、ただ先生の後ろで目立たなくしていただけだが、自然にいろんな行事、約束その他の出来事に先生やその友人達と一緒に参加した。

2001年7月24日池田先生が永眠されたとき、皆して泣いた。

先生は、すばらしい人だった、先生の友人達もだ、、、。

先生の死後、友人達により偲ぶ会が発足した。これは先生の思い出を語り敬う会合である。

2006年4月16日の偲ぶ会は、先生の生まれ故郷、京都で行なわれた。

午前中、皆して先生へ挨拶をしに墓参りをした、、、。

武道はスペクタクルではない、、、≪目に映る姿は本物の姿か?≫

私は、派手なアクションだけが売りものの≪武道≫のスペクタクルショーを出来るだけ避けるようにしている。ただ、友情のよしみで何度か参加したことがある。そしてある日、このような演武紹介に参加する者の目的と観客人が得る結果とを分析してみた。結果は栄光とはまったくほぼ遠いものである、なぜなら意識的か否かは知らないが、観客に奇術師の演目を観せ、心理的に麻痺させる或いはさらにひどく、信頼を裏切るとんでもない企てに参加するだけだ。

誰かがスペクタクルをする場合も、≪デモンストレーション≫という用語を使っているが、一体どんな真実をデモントレ(証明する、明らかにするの意味)するのかを考えると、大変重い言葉である。

自分が一番強い? 一番すばやい? 一番何?

スポーツ格闘技を観に行くと大変わかりやすく事は明らかである。点が入り、勝利者が発表され、賞が与えられる。だれも最後のアクションには、哲学的要素があったなどと説明しようとはしない。

しかし、我々の場合は全く違う、もし私が行なう居合のイメージを観てこれが武道だと信じさせているとしたら、私はうそつきだ。

ある者は精神性に飢え、またある者は認めてもらうこと、名声が必要、または金のためにといった芸術の見せかけのイメージのみを学んだテクニシャン達の集まりにしか過ぎない。鏡は3D(3次元空間)を持つかの錯覚を与えるが、実際には鏡に映るイメージは平面である、奥行きがないのだ。

武道は、可能なかぎり完璧に要求、目標を満たすのに全ての良識を盛り込んだ≪自分のあり方の状況≫で、私の言う良識や要求、目標とは我々の探求しているもののことである。

毎日の先ずはの目的である、技術、技の表現、上達、しかしこれは武道ではない。

練習時のイメージ(かたち)の手直しは、もっと奥深い目標を持つ身体的表現に磨きをかける道具の一部にしかすぎない。

正真館道場

日本のマーシャル・アート(武道)は武士道の一環であり、その根元より古来伝統を重んじるものである。

この古来から伝承される形を錬磨することにより、技の更なる理解を深めるよう修業するところが正真館道場である。

正真館では、日本古来の伝統を尊重し、正しい練習と交流がしやすい雰囲気、良い環境で日本武道を修業する。

日本語の≪館カン≫は、やかた、場所のことで(我々の道場とも等しい意味を持つ)、正真とは、正しく、真実の武道を修業できるやかた館(道場)という意味である。

正真館道場は、ジャック・マルシィアノを含む4名のフランス人により、古来伝統を尊重した日本武道を修業することを目的として1989年に創立された。

12年間の道場運営は、居合道、特に無双直伝英信流と密な関係があった。それは、フランスの道場では異例といえる、池田茂夫恩師、無双直伝英信流8段範士との運命的出逢いから始まった。

池田茂夫恩師は、京都に生まれ、師の叔父、岩井三郎先生が指導されていた乙訓道場で年少のころから剣道を修業し、日本刀への激しい情熱から自然に居合の道へ。

1989年、長年の日本武道修行者で、居合に熱狂的な興味を抱くジャック・マルシィアノと池田茂夫恩師との運命の出逢いと終わりのない師弟関係が始まった。

この時より、池田茂夫恩師は全力でジャック・マルシィアノとその生徒達の居合指導に専念した。そのあまりの情熱と寛大さに永遠の敬意を表す。
長年の間、池田恩師のご家族はジャック・マルシィアノを家族の一員として受け入れ、マルシィアノは池田恩師の熱狂的な指導を受けた。全てが最善の人生への見習いの場であった。池田茂夫恩師はジャック・マルシィアノの上達のために全力を投球した。修行の機会は頻繁にあった(年平均4~5回の来日)。さらに、数知れない電話やファックス、手紙などの通信機関を通じての指導、それはテクニック的な説明のみならず人生や人間としての教育にも及んだ。

このような先生との関係のお陰で、正真館道場はフランス、ヨーロッパでの伝統的日本武道を嗜む者が必ず立ち寄る場所となった。やはり池田茂夫恩師の人網で定期的に日本空手のナショナルチームや剣道のチームがパリへ訪れる際の訪問場ともなった。有名な先生方も、このフランスにある日本古来道場へと足を運んだ。
新聞、雑誌、専門誌の数多い記事、さらにテレビでもこのパリの≪プチプライベート道場≫が紹介されるほどとなった。

正真館道場は、1994年6月9日木曜に無双直伝英信流第21代目宗家、福井虎雄先生を迎えた。同宗家はこの訪問の数ヶ月前に日本で無形文化財を受賞されたばかりであった。この訪問は、本当に特別な出来事だった。

この訪問の機会に、21代目宗家、福井虎雄先生は正真館道場を無双直伝英信流の正統門下道場とされた。

1994年8月28日、日本武道館での池田茂夫恩師とジャック・マルシィアノの模範演武の際、橋本龍太郎元総理と出会う。その後、橋本龍太郎氏は1998年9月に正真館道場を訪れた。

1998年、池田茂夫恩師は身体的に居合を続けるのがむずかしい重い病にかかった。にも拘らず、練習には以前にも増して同席された。何人かの生徒は池田先生が刀を抜くところを見ることがないまま、先生の指導の下、練習を重ねていた。

1999年、正真館道場は当時の松浦日本大使(その後ユネスコ事務局長となる)を迎え、盛大な創立10周年記念パーティーを開催。

2000年6月、福井虎雄宗家 他界。

2001年5月のことだった、池田茂夫恩師はさらに体が不自由になっていた、そんな時ジャック・マルシィアノを岐阜の英信流範士10段、故福井虎雄元宗家の子息、福井正孝先生宅へ連れて行く決心をした。池田先生は、この訪問で福井先生に自分にもしものことがあったら、我が弟子、ジャック・マルシィアノを宜しくお願いしたいと申し出た。

病気との懸命な闘いの末、池田茂夫恩師は2001年7月24日に永眠した。
福井正孝先生は、その後は2か月に一度位のペースで修行のため訪れるジャック・マルシィアノの指導にあたる。

最後に、正真館道場10周年記念パーティーの際のジャック・マルシィアノの言葉で本章を終わりとする。

≪ 本日の祝賀会を、私の恩師である居合道無双直伝英信流8段範士、池田茂夫先生に捧げたいと思います。先生に心からお礼を申し上げたいのですが、あまりに恩義がありすぎて言葉ではこの気持ちを表わすことができません。先生に対する私の敬意は完全不屈なものです。先生は、私が精神面、技法面で絶えず上達するよう惜しみなく努力をして下さいます。いつか先生の寛容が報われますよう望んでいます。 ≫

無双直伝英信流 宗家訓

当流の居合いを学ばんとする者は、古来より伝承せられ以って今日に及ぶ当流の形に聊かも私見を加うことなく、先師の遺された形をごう末も改変することなく、正しく後人に伝うるの強き信念を以って錬磨せられんことを切望する。

剣は心なり。心正しければ剣正し。
心正からざれば剣又正しからず。

剣を学ばんとする者は技の末を追わずその根元を糺し、技により己が心を治め以って心の円成を期すべきである。

居合道は終生不退、全霊傾注の心術たるを心せよ。


第21代宗家 福井虎雄著 
無双直伝英信流より

武技テクニックは、手段として使用、、、

≪先生≫とは、生涯良き≪弟子≫でもある。


日本は様々な分野で、常に他の国と異なっていた、この特殊性は特に芸術の世界で現れている。その芸術のオリジンが日本であろうが、西洋であろうがに拘らずである。では何が芸術を学ぶにあたり≪日本式≫で異なっているかというと、まず古き良き教育からなる、先生から弟子への指導方法が特有であること。この特殊性とは、習い事のテクニックの教えを遥かに超えた尊敬と忠誠心で結成された人間関係である。このような厳しく拘束ある練習の仕方は、それぞれの生活に反映することであろう。

芸術を道具に人格結成に利用する。

生活様式が進歩し、何かと便利になった現在の世の中ではあるが、その反面、国の真の文化の豊かさを表す精神的価値感については、後退を招く結果となったともいえる。

何かを創るための道具自体が重要性を持った。

アーティストは、芸術を学び、追及の過程で精神的向上を得たことではなく、その作品や形に与えられた賞によってのみ世間から認められる。人間関係が基盤となる規則は変わり、関心事も変わる、また人生の目標も進化する。それは、子供たちに対する教育にこの価値感の変化が反映され、時代と共に少しずつ国の文化を形成していく。
日本特有の芸術は日本の価値感で育まれた。進化を続ける現代の世の中、このような芸術の助けをかりて、伝統的なアプローチを再現し、失われた価値感を見直す時期が来たのではないかと思う。

このように姿勢、態度を変えていこうとする意志、人間関係の向上を図ることこそが日ごろの我々の修業の基礎である。

難しい試練の道を行く、、、

過酷な拘束や規則、要求をともなう厳しい修業があってこそ到達できる苦難の末の自由がある。

動作は何度も何度も同じかたちが繰り返される、しかしシチュエーション、状況はそうではない。技、テクニックは何かを築き上げる基盤、手段(サポート)でしかないからである。武道とは、現在目に映るものではなく、長年に亘って毎日毎日の厳しい心身の練磨から成るものである。

修行の目的は、入門する者に武技の練習を通じ、日々の生活態度と他人との接し方も同じ厳しさをもって、心身ともに向上を図ることにある。

今日我々が生きる社会で、このような態度、行動を取ることは容易でない、なぜなら価値感が変わっただけでなく、消滅すらしてしまったものもあるからである。

自分自身を変えて行くことはかなりむずかしい、しかし究極の満足は得られる。このような手本は結構感染するものである、何年か後には周りの人達の生活態度も変わっていくことに気づくであろう。
自己の主義と価値感とが調和した人生はなんとすばらしいことか。

個別的な教え、、、

新たに入門を志願する者が現れると、私はいつも躊躇する、なぜならその者が、我々の≪入門に関するモラル的約束事≫について、間違った解釈をしてないか、本気でやる気があるのかなどの確信を持ちたいからである。

今日、殆どの習い事は、集団レッスンになっている、個々に対してのみできる本質的な教えを、集団を相手にあたかも可能かのように行われている。
おそらく、本来重要視すべきことを外し、テクニック面ではある程度のレベルまで到達できるので、万人向けで誰でも入門できることを優先しているのであろう。金銭的な採算を考えると説明がつく。そうなると、その生徒は、比較的緩和な教えを受けることになる。このような教え方をしている教室では、かなりの生徒数のローテーションをみる結果となる。しかし、それは別に大した問題ではない、だいたい生徒自体が趣味程度にいろいろな習い事をしていることが殆どであるから、まるで万人向けの習い事スーパーマーケットであれこれ、ある期間、予算に合わせて選んで買い物をしているようなものであるから。

本物の教えとなるとそのような訳にはいかない。それぞれ個人に合わせた個別な手ほどきのみが結果をもたらすことにつながる。人はそれぞれ異なり、頂上へ行き着くためには、それぞれ個々の上達のその段階によって到達の道、手段を慎重に選ぶべきである。このような指導法では、一旦同じ道を歩む決意をしたからには、だれも途中で見捨てられることはない。その代わり、弟子となる者は予め容易でない道について説明を受け、技の面でも日々の生活態度についても、あらゆる苦難を乗り越え、厳しい要望に応じなければならないことを予告される。

我々の≪入門に関するモラル的約束事≫とは、技の上達とモラル、さらに文化面の人格向上をも目的とし、時がくれば我々が受けた指導を、同じかたちで後世に伝えるという約束のことを意味する。

日本では、≪生涯のうち、一人の「弟子」を持てた先生は、毎日神に感謝するべきである≫と言われる。

《礼とは、礼儀という森を隠した一本の木である》「フランスの諺で、目の前の一本の木が後ろの大きな森を隠している。つまり目先のことだけ見えて、その背後の意味の深さが理解できてない、ことを言う≪灯台もと暮らし≫」

伝統武道を修行するにあたり、日本式の礼をすることは、常に武道の価値感に適した態度をとるべきだとする形式的な動作をしているわけである。

この礼の動作は、武道とはほぼ遠い、内容不可解な東洋のえたいの知れない格闘技でも取り入れられている。魂のない(心のこもってない)礼は、ナンセンスである。

≪武道は礼儀に始まり、礼儀に終わる≫とは、意味深いことである。

ある生徒は稽古に遅刻してきて、あるいは前回は欠席だった、または汚らしい稽古着で、先生に事前に謝ることもせず、稽古を始める前に礼をしている、何度このようなシーンを観察したことだろう!このような姿勢は、礼をまったく意味のないものにしている。それどころか、反対に礼儀に欠けて、反対の意味の侮辱に近い。

伝統武道の実践であれば、それは存在しない、なぜなら礼儀について弟子をしっかり教育することは先生の責任であるからだ。また、礼の仕方も細かく指導しているはずだ。武道を習うからには、先ずこの礼の仕方と内容を学ぶことから修行が始まると、私はいつも言っている。そして、他のテクニック同様、この礼の上達も終りを知らない。

下手な意味のない礼をしている者は、その者の武道の質と先生の質と指導の仕方を語っている。それぞれ自覚を持って、先生、先輩、また他の人への敬意を心を込めて礼をするべきである。

池田茂夫先生から頂いた、礼をするときの心と魂を示した書をここへ添付する。


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日常の心意気

1・ はいと言う 素直な心
1・ すみませんと言う 反省の心
1・ おかげさまと言う 謙虚な心
1・ 私がしますと言う 奉仕の心
1・ ありがとうと言う 感謝の心

2006年09月02日

ティーチャー-スチューデント、か 師匠-弟子 :仮面を剥ぎ取る

私は、ここで故意に上タイトルの単語で使い分け、《せんせい》という言葉を避けることにした。日本では、何かの道に詳しい人を《せんせい》と敬称で呼んでおり、広範囲に様々な状況で使用されている。そのため、ここで私が説明したい意味と混同される可能性があるので、意図的に上の言葉を用いる。日本人以外の人は、柔道や空手でこの単語を耳にし、フランス語のMAITRE(マスター、マエストロ)の意味のみとして、早まって誤用していると思われる。日本とフランスという全く異なった文化を持つ国で、全く同じ意味を持つ単語を見出すことは非常に難しいことである。

この部分を読む人にその意味をより良く理解してもらうため、師匠、弟子disciple - maitreの関係を説明したい。これも翻訳用語ではなかなか完璧に一致しないであろうから、師匠-弟子と日本語の単語を使って説明したい。

ティーチャー-スチューデントの関係と違って、師匠-弟子の関係は一方的には成り立たない。
(上で<せんせい>の言葉を使用しないとして、仏語ではプロフェッサーとしてあるが、以下日本語では、ティーチャーを先生、スチューデントを生徒と訳す)

単なる先生-生徒の関係では、通常、教える側が《候補者》となり、決まった授業、レッスンを様々な宣伝、広告などを通じて提案するのが殆どである。その授業内容は、何を何時どのくらいの期間教えるのかはっきりしており、その代償となる報酬もはっきり固定表示されている。

一方、教わる側生徒はその役務の消費者であり、その立場から批評したり、場合によっては反感を持ったりできる訳である。決まった授業料があるから、生徒はそれを払えば、一応自分の義務は果たしたと思いがちである。

こういった関係は、互いの役割をそれぞれがきちんと認識していれば、完璧に釣り合いが取れていると言える。

こういった状況が、ほとんどの稽古事で納得できても、残念ながら、わけのわからぬ格闘技を《武道》と勝手に称している(これはおそらく、歴史を持つ文化組織の一員になったつもりで自分とその活動の価値を上げたと思っているようだが、その規律や責務を全く尊重していない)一部の者に関しては、納得できかねる。

彼らにとって、教える人は自称師匠で、教わる人は弟子だと思い込んでいるにも拘らず、前に挙げた一般の習い事同様、先生-生徒の関係を相変わらず保ち続けている。一般の素人には、その判断はかなり難しい。おそらく、それで当然なのだろう。彼らを弁解するならば、師匠-弟子の本当の関係を経験したことがある者は、かなり稀で「知るものぞ知る」であるから、無理もない。しかし中には、教える立場として、他では得られない≪権力≫のようなものを見出し、満足感に浸って者がいることは遺憾である。

日本では、≪弟子は己の心の準備が出来たときに、その師匠に巡り合える、また、その逆も然り≫と言われる。

これ以外の場合は、前に説明した先生と生徒の関係にとどまる。その関係が無意味というわけではない、ただ武道の価値を追求するとなるとそうはいかない。この先生-生徒(ティーチャー-スチューデント)の関係については、比較の材料としてこれ以上は触れない。

武道でいう弟子とは、まず常時他者に注意を払うことである。

これは、≪侍、サムライ≫への道であり、たとえ戦国時代の武士の称として使用し、時代錯誤の言葉であろうと、現代もしっかり生きた言葉である。侍とは、日本語の最もへりくだった言い方で、≪さぶらう、位の高い人に仕え、いつなんどきでも必要なときをひたすら待ち、忠義を尽くすこと≫ これ以外の何ものでもない。ただし、うまく仕える為には、見返りを期待することなく奉仕し、常に向上し続けることが大切である。この姿勢こそが、模範となる態度を養う道へと弟子を導く、それはまず、師匠に対して、先輩に対して、他の兄弟弟子に対して、そして更には人生で知り合う全ての人に対しての≪礼儀≫を重んじることから始まる。これは、自分の所属する旗を掲げ誇りとし、伝統を守ろうと時間、労力、気力を捧げている人に対する感謝の気持ちからなる。

全ての規律や作法を記した書物はない、ここで言う態度や姿勢とは、強制的に押し付けられたものではない、心の持ち方の問題なのである。
そうすると、師匠と弟子とは、≪こころ≫が支配する日常の密な関係であると言える(≪こころ≫については別のテーマで触れる事にする)。

従って、弟子とは何をするべきかといったリストを作ることは無意味である、なぜなら、とるべき態度や姿勢とは、その時の状況によってそれぞれ異なっているもので、限界なく常に向上できるものであるから、無理に言葉で書き留めようとすると、
その無限の可能性を減少させてしまうことになりかねない。

大切なことは、常に他人に耳を傾ける姿勢を持つこと、道を教えてくれる師匠や先輩、年長者達の経験、助言などに常時注意を払うことである。日本では、≪大和魂、一を聞いて十を知れ≫と言う。

週に1回か2回の、またそれに必ず来るかどうかも不確かな集団レッスンである単なる先生-生徒の関係だと、私の説明したいところの本来の≪教え≫とは、ほぼ遠い。

何の見返りも期待しないということは、何も見返りを受けないという意味ではない。

師匠の唯一の目標は、人生にかけがえのない大切な価値を教え、伝承することにあり、その信念を貫くことが不可能になったとき、その昔ある者は切腹をし、無の人生を送るより立派な死を選んだほどだ。

師匠と弟子とは、出逢ったとき、互いに分かり合うものだ。もう何年も前のことになるが、池田茂夫先生と私の場合がそうであった。逢った瞬間、互いに感じるものがあった、たとえ一方がこの世を去っても、我々のこの関係は終わりがない。

我が師匠は、見返りを一切期待されなかった、しかし、私にはまだまだお返しが残っている。

このような関係の道に入るには、互いが心を開き、相手の心の内が読める≪心意気≫を持って接することが必要である。このような関係であれば、様々な誤解や過ちを避けることができる。しかしながら、互いに、相手が求めている人物になりすまして、己の気持ちを偽装し、≪澄んだ心≫につけこむことは簡単である。
私は、何度かこのような苦い経験をさせていただいた。何年かで化けの皮が剥がれていった偽装心を、長年、自分の心を開いて受け入れ、様々なものを与えていった。

それでも何も見返りを望んでいたわけではないから、一切後悔はない。
今も私と共に残って、日々向上を続けている弟子達を誇り高く見守って行きたい。

ある日、私は我が恩師池田先生に、長年にわたって受けてきた先生からの恩をどのようにお返ししたらよいかと尋ねたことがある。先生は、≪返さなくてよろしい!他の人に返しなさい!≫と言われた。

師匠と弟子は、一体のものであり、片方のみでは存在できない。
一旦この関係が生まれたら、たとえ片方の死でさえも、これを崩すことは出来ない。むしろその逆である、、。本当の師弟の関係では、弟子はその師匠に絶対的な信頼の姿勢で接し、また、師匠は、その信頼に応えて、あらゆる人生の状況にふさわしく正しい振る舞いを弟子に教えるべく、模範となる責任のある行動、態度をとることが必要である。
師匠は、それぞれ弟子に合った訓育をし、その最善の向上を図る。
このような弟子の進歩とその努力の報いで、師匠もまた己自身の追求の向上を見ることができる。

我が師匠となる人を待つ、我が弟子となる者を待つことを知る

これは、時間を無駄にするという意味ではない。何年掛かろうと、その≪出逢い≫のため心構えをしておくこと。≪この人だ≫と気づくためには、それなりの準備が必要である。つまり、形でしかない技やテクニックが上手であればあるほど、精神面がともなってないことを隠しやすい、このような偽装心が多い中、その技やテクニック以上の本来の教えを伝える人格者と見ての出逢いに構えておくこと。

このような状況だと、弟子は師匠の教えに感謝と敬意を払うためにも、師匠を越えようと切望する。師匠はそして、いつの日かその弟子が自分を越えて成長するよう常に貢献する、こうすることにより、代々教え伝えてきた前世代師匠達に感謝を表す。

2006年08月28日

無限の進歩を追い求めて、、、

武道という芸術を嗜むものに、上や下のレベルをつけることは、私の芸術に対する見解にはそぐわない。私にとって芸術とは、見えるものの背後にある真実の追究で、芸術家がそれぞれその追究の過程で何かを生み出すことにあり、レベルをつけることではない。ピカソがミケランジェロより優れていたとか、モーツアルトがショパンより、ボードレールがアポリネールより上だと誰が言えるであろうか?彼らをどのランクに位置付けできるであろうか?宮本武蔵、佐々木小次郎、坂本龍馬のレベルをランク付けれるものがいるだろうか?

他の箇所で説明したとおり、技、テクニックは何かを築き上げる基盤、手段(サポート)でしかない。その技、テクニックに成績をつけることは、学ぶものに良い成績を得るためだけに努力するという考えを植えつけてしまい、本質から外れる。これは肉体的パフォーマンスで評価し得るスポーツの世界であれば、十分理解できる。しかし、武道の世界ではあり得ない。

しかも大変無念なことに、ある一部の団体では、技によって段を授与することは、精神面の価値をも兼ねると思わせている曖昧な点があることだ。無論そんなはずはない、しかし新入りには、当然のように思われている。

より優れた技、テクニックを追求し練習を重ねることで、武道人生の初めのうちに技術向上できるとすれば、年と共にいつかは衰え始めるこの技というサポートを十分に活用するためにも、出来るだけ速く上達することは大切だと言わざるを得ない。しかし、正しい教えのもとには、いつかそのサポートである技の修行から、無限の<心>の修行へと進化していくことに気づくときがくるであろう。
こういった背景では、それぞれのレベルは主観的なものでしかない。どの芸術家がその分野で一番だと思うことがそれぞれ自由であるのと同じように…。

人の権力願望は、多少なりとも他のものと比較できる客観的階級によって評価されたがり、これにより所属するグループ内で確固たる地位を築きたがる。そうなると、技、テクニックの練習のみに留まり、本来の教えからはずれてしまう。

師匠と弟子の間柄には、何人も入り込むことは出来ない。増してや、見せかけの階級関係を作る組織構造が、敬意と信頼、互いに向上し合う信念と自由意志に基づいた師弟関係に入り込むことなどできるはずがない。

しかし、残念なことに、多くの者は技術向上することを最終目標とし、技術のみで武道が上達したと信じている。技術レベルの授与により、存在しないもう一方(精神面)の価値の所持者だと思い違いをし、年とともにその技術から見捨てられ、残るはとうの昔に失った技術レベルの賞状所持者というだけである。武道の修行において、このようなレベル付けは無駄で矛盾しているだけでなく、限界のある段階の位置付けは、昇段のみを目標とする練習に留まってしまうことになりかねない。


私が追求するものは、我が師匠池田茂夫先生同様、どんな不可能事も達成できるという信念の追求である。

我々の野心は先代と師匠のレベルに達し、それを超えることである。なぜならそれが師の教えに対する唯一の感謝の表現だからである。私は我弟子達をこの方向へ導きたいと切望している。師匠とは導く者であり、正しい意味での上達、向上の請負人となるべきである。

2006年07月19日

約束を守る

« 約束を守る »、武道とはまさしくその通り、それのみである。

我が恩師、池田茂夫先生が私に教えてくださったときは、もう相当何年も前のことになるが、私自身には既にその信念があった。ただその本来の意味と大切さが判るには数年を要した。

長い間、私にとって« 約束を守る »ことと、« 言ったことを実行する »とは、同じ意味を持つと思っていた。しかし、そうではなく、約束の中で一番難しいことは、自分自身が心で決めたことを守り抜くことである。自分の心と自意識のみ以外に他に証人となる者がいない約束を貫くこと。

書いたものに署名をし、更に立会人まで同席した約束事さえ守れない者が多く存在するこの世の中、そのようなことを説明するのは、非常に難しいことである。そのような悪の誘惑に決して負けない姿勢こそが、唯一の答えとなる。それがたとえなかなか消えない苦い後口を残すとしても。

私の人生は、かなり以前からこの方向を目指している、そして徐々に、私の中の私自身のためにしか存在しない約束事と共に生きることを覚えた。日本語の« ヤクソク»は、フランス語の« ランデブー»(プロミス以外にアポイントメント)とも訳される、その意味の深さが理解できる。

武道の世界に入るからには、先ずその真髄であるこの価値を受け入れ、全うするべきである。
そして師匠は、伝承の請負人として、これを怠る弟子の行為を見過ごすわけにはいかない。事が重大な場合には、その弟子を脱退させるしかない« 破門 »。

このような任務を果たすとき、それを決断することは大変むずかしいことであり、心には常に深い傷が残る。なぜなら弟子が自ら選んだ道を逸れかけていることにもっと速く気づかなかった自分に責任を感じるからである。